オウム事件の死刑囚 (12名)

オウム真理教事件の死刑囚(麻原以外)

最高裁確定 事   件   名
宮前(旧姓岡崎) 一明 2005. 4. 7 坂本弁護士一家殺人事件 他
横山 真人 2007. 7.20 地下鉄サリン事件
端本 悟 2007.10.26 坂本弁護士一家殺人事件  松本サリン事件
小池(旧姓林)   泰男 2008. 2.15 地下鉄サリン事件 他
早川 紀代秀 2009. 7.17 坂本弁護士一家殺人事件 他
豊田 亨 2009.11. 6 地下鉄サリン事件 他
広瀬 健一 2009.11. 6 地下鉄サリン事件 他
井上 嘉浩 2009.12.10 地下鉄サリン事件 他
新実 智光 2010. 1.19 坂本弁護士一家殺人事件、松本サリン地下鉄サリン事件   他
土谷 正実 2011. 2.15 松本サリン地下鉄サリン事件 他
中川 智正 2011.11.18 坂本弁護士一家殺人事件、松本サリン地下鉄サリン事件   他
遠藤 誠一 2011.11.21 松本サリン地下鉄サリン事件 他

 

オウム事件の死刑囚のうち、松本智津夫以外の12名の紹介

 2018.5.16修正版  弁護士滝本太郎

以下、死刑確定の日の順

 

① 宮前一明被告(旧姓佐伯、岡崎)  1960年10月8日生宮前一明

坂本一家殺人事件の実行犯。当時は29歳。1998年10月23日地裁で死刑判決が言い渡され、2001年12月13日控訴棄却、2005年4月7日上告棄却

経済的にも、養父との関係においても恵まれぬ家庭環境に育った。高校卒業後、建設会社に就職したが、転職を繰り返し25歳で出家。事件の翌年1990年2月にオウム集団から脱走した。

同人は、1995年の強制捜査開始後、自ら警察に連絡をとったが、坂本事件についての自分の関与を一部しか認めず、週刊誌の取材も受け、結婚のために一時期訪中するなどしていた。法廷で反省を述べるが、現実感をもったものかが疑われた。

一審では、精神医学者小田晋と刑事法学の土本武司の共同での「心理鑑定」がなされた。「宗教心理的学的に被告人が麻原の命令に従って本件犯行を行うこと以外の行動を期待することは、実際上多少の困難を伴うか、少なくともそれを制約された状態にあった」「松本智津夫の言葉はすべて真理であり、同人と精神的に一体化することが自分の生きる道であると確信していて、松本の命令に従って本件犯行を行うこと以外の行動を期待することは困難であると認められる」などとされている。数ヶ月にのぼる暗闇の独房での感覚遮断、飢餓などによる心理操作が確認されている。

控訴審では、証人として筆者が採用されたので面談して聴取した。脱走後も、麻原彰晃への恐怖心・帰依心を残していたことが判明した。2億円ほどを持って脱走し結局830万円ほどを教組から渡されたのだが、その後もいつかオウムの地元支部を作って戻ろうとも考えていたのであり、麻原彰晃から渡された宗教具(真我を示すというプルシャと言うバッジ)を逮捕まで持っていた。

麻原彰晃に対して、親に対する畏怖心と甘えとを求めていたという感を持つ。宮前は、獄中でペン画を描き各種展覧会で入選するなどしている。拘置所には廊下に造花植物があるだけで、外の景色もまともに見えず、運動の際も空が見えるだけであるだけである。精神的に不安定になり、再び宗教書に埋没する被告人も少なくないが、絵画で心を安定させている模様である。

2018年3月名古屋拘置所に移監  2018年7月26日 執行 57歳

 

② 横山真人被告  1963年5月16日生横山真人

地下鉄サリン事件の撒布役(自らの撒布は穴1つであったことから死亡者は出ていない)、武器等製造法違反など。同事件当時は31歳。1999年9月30日地裁で死刑判決、2003年5月19日控訴棄却、2007年7月20日上告棄却

東海大学工学部卒業後、企業勤務。同被告人は、法廷においてもきわめて無口である。オウム集団で曜日も時間感覚もなくした作業をしていたことが明白に認められ、また逮捕後取調官からひどい暴言、暴行を受けたという。事実関係や動機、教組の関与について詳細に述べないままだが、一審の最終意見で「いくらお詫びしても、償いができるわけではない思いから悩んできました」とか細い声で述べた。いったん脱会を表明したが、公判の最終局面において撤回し、また差し入れてもらっていた物理の専門書を読みふけっているという。

地裁判決では、「松本被告の指示を絶対視して実行犯になった」「その動機は狂信的、独善的」と述べた程度であった。

取り調べ方法が稚拙だったことが悔やまれる。同被告人が撒いたサリンによっては死亡者が出ていない。

2018年3月名古屋拘置所に移監 2018年7月26日 執行 55歳

 

③ 端本悟被告  1967年3月23日生端本悟

坂本一家殺人事件、松本サリン事件の実行犯ほか。坂本事件当時22歳。2000年7月25日地裁で死刑判決、2003年9月18日控訴棄却、2007年10月26日上告棄却

早大法学部を3年で中退して出家。同人は、出家して約一年後、武道大会で優勝したことから、坂本弁護士を最初に殴打するだけの役目だと聞かされて、坂本一家殺人事件への関与を始めた。結局アパート内で3人を殺害するという現実感ある事件を起こしたにかかわらず、後に松本サリン事件にも関与した。

この機序を理解するには、もともと、オウム集団においては、あらゆる途方もないことがグルの指示によるのであり、多くは失敗に終わっていることを見逃せない。同人はたしかに坂本事件に関与した。が翌年4月の国会周辺へのボツリヌス菌撒布などはなんら効果がなく、やがて水中都市をつくるための潜水艦実験の被験者となりドラム缶をつなげた潜水艦が沼津港に落ち、洗面器の下から海水を見て危うく死にそうな事態とまでなっている。松本サリン事件で実際に死亡者が出たことの驚きは本人の言うとおりだとも思われる。

つまり、空飛ぶ座布団、飛行船、ミニブラックホール、水中都市、レーザー兵器、ウラン鉱石から始める核兵器開発と同じ位相で、化学兵器も薬物も開発・製造されたのであり、その多くは失敗に終わっていて、オウム集団がそこまでできるとは幹部らも容易に納得できなかったのではないか、と思われる。そんな中、端本被告は、麻原彰晃に対する疑念も認識も早くのうちから持っていた。

では問題は、どうして早くに脱会しなかったのか、少なくとも坂本事件以降の事件に関与しないようにできなかったのか、である。実は、同人は1990年春、家族の会らで富士山総本部まで呼びかけ行動をした折、母親と話すまでできており、後に分かったことだが実家近くまで何度も来てもいた。だが「もう帰れない」と思ったとのことである。坂本事件に関与したことがルビコンの川を渡ったしまったとしか言いようがない。同人も、坂本堤弁護士が救いたかった出家者だった。

東京拘置所に在監 2018年7月26日 執行 51歳

 

④ 林泰男被告(現在の姓は小池)  1957年12月15日生林康男

松本サリン事件の実行犯、地下鉄サリン事件の撒布役、当時は37歳。2000年6月29日地裁で死刑判決、2003年12月5日控訴棄却、2008年2月15日上告棄却

工学院大(2部)卒業、外国放浪などをしていた。同被告人において特徴的なのは、オウム集団の多くの幹部が下の者から陰口を言われていたところ同人について悪くいう者はまずいなかったということ、地下鉄サリン事件において他の撒布役は2つのサリンが入った袋を手にしただけであるのに、最後に残った1つを少しの沈黙の後自らとって撒布したことである。同人は筆者との面会において「どうしてか、やはり言いようがない」と述べた。地裁の判決文でも上長らから仕向けられたことが認定されている。同人は、この3つ目のサリン袋を受領した時、上司である故村井秀夫から「誰がとるか尊師と賭けていた、当たった」などと言われたことから相当の疑念を持つに至っている。しかし、地下鉄車中で3つの袋に穴を開けて撒布し、その行為により8人を殺している。状況の拘束力、既成事実の重さと言うほかないのであろうか。

同人は、事件後、男女関係に至った女性信者とともに1996年12月3日まで逃亡していたが、驚くべきはこの1年半の逃亡中、報道によってさらに教えに疑念を持ちつつも、やはり「麻原彰晃」=「真我」を示すプルシャのバッジは持っていた、ということである。

同人への一審判決は死刑であったが、同時に判決文は「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」と述べている。死刑判決の中にかような文脈があるのは、まさに異例中の異例である。

まさに、オウム事件が「良い人が良いことをするつもりでした途方もない極悪非道の事件をした」「悪意の殺人は限度があるが善意の殺人は限度がない」「地獄への道は善意の敷石が敷かれている」という空恐ろしい本質をもっていることを理解したうえでの判決であった

2018年3月仙台拘置所に移監 2018年7月26日 執行 60歳

 

⑤ 早川紀代秀被告  1949年7月14日生早川紀代秀

坂本一家殺人事件の実行犯ほか、当時40歳。2000年7月28日地裁で死刑判決、2004年5月14日上告棄却、2009年7月17日上告棄却

神戸大農学部を卒業後、企業に勤務し出家。同被告は、主要な被告人の中でグルである松本被告より唯一年長であることが注目され、ロシアにも何度も行き来していたことから「非合法活動の最高責任者」などと言われた。だが、裁判の過程で同被告人も、松本被告を「最終解脱者」と信じその「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする」が利他心に基づくものだと信じきって、不動産などすべての財産を処分して妻ともども出家したことが明らかになっている。

注目すべきは、同人は、1995年5月16日の松本被告の逮捕の日に脱会し、半年後、「事件を歴然たる事実として現役信者も見つめるよう」法廷でも述べていたが、真実すっきりとしたのは、1999年7月のいわゆるハルマゲドン(日本では五島勉氏が著書で喧伝した世界最終戦争)が、結局なかった段階だということである。筆者もまた、少年のころ、43歳である1999年には死ぬのであろうと考えていたことを、同人と面談して聴きながら思い出した。

同人はまた、一部の陰謀論者がいうところでは「オウム真理教は北朝鮮の先兵・傀儡として動いた」などという根拠としての北朝鮮に何度も往復した者とされているので、付言する。同人は、それはまったく間違いだと法廷でも明言し、筆者との面談でも同様である。いまさらそんなことで嘘を言う必要がないでしょう、滝本さんまで聞かないでください、ということであった。

同人は年長であること、多くの事件にかかわったことから、当初から死刑判決を受けることを覚悟して逮捕されたものでもあった。同人の弁護人が法廷できわめてざっくばらんに被告人質問をし、外部に対するオウム事件では多く変装をして犯し、逃亡の際も女装までして逃亡したことなどのおろかさ加減を指摘すると、恥じ入る状態であった。

同人の法廷で、松本被告が証言を拒否して退廷させられたときの被告人の号泣こそは、オウム事件の信者である実行犯たちの立場を象徴するものであった。2006年5月書籍「私にとってオウムとは何だったのか」を出した。

2018年3月福岡拘置所に移監    2018年7月6日 執行 68歳

 

⑥ 廣瀬健一被告  1959年7月5日生廣瀬健一

地下鉄サリン事件の撒布役ほか、当時は30歳。2000年7月17日地裁で死刑判決、2004年7月28日控訴棄却、2009年11月6日上告棄却

早稲田大学理工学部応用物理学科を首席で卒業、修士課程を修了。企業に内定していたが出家。同人も他の多くの被告人と同じく、信者になる前「クンダリニーの覚醒」という体験(尾骶骨に眠るエネルギーが熱となって登頂に上がってくる感覚であり、これが解脱に必要でありまた空中浮揚の能力をもつ根拠となる)をして、オウムの教えを真理と考えて、指導教授から空中浮揚の非科学性を指摘されながらも、出家していく

同被告人は、裁判中の1999年4月ころから半年ほど、精神に変調をきたし、法廷も休止せざるを得ない状態となった。同被告人は、話すときにはどの法廷でもきわめて正確かつ詳細に、驚くべき記憶力で述べている。後に、大学生向けの破壊的カルトでの経験、神秘体験のまやかしについての文章を出し、同じことが繰り返されないよう強く訴えている。

東京拘置所に在監 2018年7月26日 執行 54歳

 

⑦ 豊田亨被告 1968年1月23日生豊田亨

地下鉄サリン事件の撒布役ほか、当時は27歳。2000年7月17日地裁で死刑判決、2004年7月28日控訴棄却、2009年11月6日上告棄却

東大理学部、修士卒。博士課程へ進学したが1ヶ月経たないうちに出家。同被告人は、最初の法廷での意見陳述で 「罪の意識というもの」が「日々おもたくなる」「犯罪の重さは、日に日に自分にのしかかってくる」と表現しており、その現実感ある態度からすると、早い段階でマインド・コントロールを脱していることが推察できる。同人はいわゆる神秘体験をしていないとのことであり、それが影響していたのかもしれない。

豊田被告、広瀬被告及び杉本被告は、共に進行するに統一公判となっている。うち豊田被告と廣瀬被告については、日本脱カルト研究会の一代目代表理事である高橋紳吾医師が証人となり、感応性精神病類似の症状や解離性障害に陥っていたことを証言している。

同被告は、地裁での最終意見陳述で「‥‥生きていること自体が申し訳なく、また浅ましいことのように思われます。‥‥それに加えて、教団の関与した数多くの犯罪行為のうち、自分の関係していないものについても、もちろん当時は知らなかったわけですが、正直なところ、指示されていたら、やらなかっただろう、といえるものはひとつもありません。‥」と述べている。オウムの諸事件において、実行犯になるもならないも「紙一重」だったことを示す発言である。

東京拘置所に在監 2018年7月26日 執行 50歳

 

⑧ 井上嘉浩被告  1969年12月28日生
井上嘉弘

地下鉄サリン事件の連絡または現場責任者ほか、当時は25歳。2000年6月6日地裁で無期懲役判決が言い渡されたが、2004年5月28日高裁で死刑判決、2009年12月10日上告棄却

高校1年で阿含宗に入信、さらにオウム集団に入信、「修行の達人」「導きの達人」と言われる。大学1年の夏休みに出家。同被告人には、刑事弁護人として新たな方法を模索する弁護士がついた。筆者から言わせれば「刑事訴訟法を弁護するのではなく、まさに被告人を弁護する正しい弁護方法」であり、たとえば弁護人から本来は勾留の違法性を主張する場である「勾留理由開示」の法廷をつかって、事件を公の場で認めかつ現役信者らに対して「麻原彰晃」の欺瞞と限界を指摘して脱会を促すための場とした。被告人との接見も当初は、ほとんど毎朝いく状態であり、その中から真摯な反省がされてきた。

だが、その反省は当初、現実感の薄いものと外からは思えるものであって、被害者らの耳にも空虚に感じるところがあった。麻原彰晃は否定できたものの、宗教的見地から被害者のよりよい冥福を祈る、また反省することを真摯に目指すとして努力するというものであった。その心理状態は、当会の代表理事西田公昭が心理鑑定人となり証言した内容に詳細に示されている。その後、当会の前々代表理事浅見定雄らが証人となるために面会が許されるようになり、市井の一人ひとりの命の尊さを、たとえば藤沢周平の著作を読むことを薦められ何度も面会を重ねるうち、現実感をもった反省にいたることができた。

一審判決の折、裁判長から「決して宗教に逃げ込むことなく」と説示されたのはかような背景に基づく。死刑求刑に対して無期懲役の判決としたのは、地下鉄サリン事件の事実認定において「現場連絡役に止まる」と認定したこと、家庭環境の桎梏や高校生時代という不安定な時期に巧妙に「嵌められた」ことを考慮したのだが、しかし、かような真摯な反省を見ることができたからなしえた判決であった。

 

しかし、控訴審判決においては、検察側の有力な反証も活動もないままに、事実認定において現場指揮役に近いものと認定して、死刑判決とした。多くの事件にいわば積極的にかかわっていること、オウム集団において相当の地位にあったことを重視して、最初から死刑判決と決めていたとしか感じられないものであり、量刑判断の緻密性と真摯な態度は、一審に比較して明らかに劣っている。

2018年3月大阪拘置所に移監 2018年7月6日 執行 48歳

 

⑨ 新実智光被告   1964年3月9日生新実智光

内部でのリンチ殺人事件の主犯格、坂本一家殺人事件の実行犯、地下鉄サリン事件の実行犯搬送役ほか、2002年6月26日地裁で死刑判決、控訴棄却、2010年1月19日上告棄却

坂本事件当時25歳。愛知学院大法学部の4年生の時入信、就職後半年で出家。 同被告人はオウム本の営業などを指導した宮前被告に言わせれば「言葉を話すドーベルマン」である。しかし、オウム内部では必ずしも軽蔑されていたのではないし怖がられていたばかりでもなかった。ふざけて話すことも少なくなくあったと聞く。同人は教団の書籍の中で自らの口唇裂と手術跡の悩みを教祖に癒されたことを述べている。同人は、1993年の八王子の創価学会施設サリン事件にて自ら重体になりながら、両サリン事件にあたかも気軽に関与できたのであり、やはり不可思議である。

同人は、長い間法廷でも完全黙秘を重ねてきたが、やがて事件自体も松本智津夫被告の指示も認めるようになる。それも「麻原彰晃」への帰依を明言したまま、ヴァジラヤーナという宗教殺人の実践としての殺人を認めるようになる。法的にはこれは松本被告を有罪と認定するきわめて有力な証言であり、いわば駄目押しであった。

同人は、地裁での弁護側立証に入った後の意見で次のように述べている。「‥私自身は、千年王国、弥勒の世のためには、捨て石でも、捨て駒でも地獄へでも至ろうと決意したのです。‥‥ですから、いま、このような形で「死刑」に処せられようとも、なんら後悔すべきことはありません‥なお、「シャンバラ化計画」が失敗したことによって、父、母、親族、知人、友人、被害者の方々、教団のサマナや信徒、宗教関係者、そして日本国民ほかにご迷惑をおかけしたことを謝罪します‥」と。

同人は、教団の費用で私選弁護人をつけてきたが、弁護方針は、一連の事件はすべて「内乱罪」の一環なのであるからこれに吸収され、死刑は刑法にあるとおり首謀者のみである、というにある。マインド・コントロールを含め、松本被告の指示に従ってきた心理的機序については、主張立証することがなかった。

2018年3月大阪拘置所に移監 2018年7月6日 執行 54歳

 

⑩ 土谷正実被告  1965年1月6日生

土谷正実

サリン製造ほか、地下鉄サリン事件当時30歳。2004年1月30日地裁で死刑判決、2006年8月18日控訴棄却、2011年1月21日上告棄却。

筑波大学大学院有機物理学を専攻しているときに入信、24歳で出家。同被告人については、新実被告と同じく一貫してオウム側が資金を拠出する私選弁護人がついてきた。その内容は、サリン事件などについて自ら作ったサリンが使われた認識はなかったというに止まらず、弟子の暴走だった、自分が作ったサリンとは違うなどと主張するまでに至っている。

同人は証人に出た松本被告公判で、最後に詞章として「‥すべての魂がマハー・ニルヴァーナに安住出来るようになるまで何卒お導きを、偉大なる完全なるグルに帰依し奉ります‥私の功徳によってすべての魂が高い世界へポアされますように」と述べた。

一連のオウム事件が、松本被告にとっては格別、その他の者にとっては明確に宗教殺人であったことを示すものである。

現在は、麻原に対し「個人的な野望を満足させるため、弟子たちの信仰心を利用しながら反社会的行動に向かわせ、多くの命が奪われたことに対し、教祖としてどのような考えを持っているのか、詐病をやめて述べてほしい」と語っている。

東京拘置所  2018年7月6日 執行53歳

 

⑪ 中川智正被告  1962年10月25日生中川智正

坂本一家殺人事件の実行犯、サリン製造ほか、坂本事件当時27歳。2003年10月29日地裁で死刑判決、2007年7月13日控訴棄却、2011年11月18日上告棄却

京都府立医科大の6年生のとき、友人の入信を止めようとして麻原彰晃に感化されて入信。医師となった後の1989年8月末に恋人とともに出家。同被告人は、出家後わずか2ヶ月あまりで坂本弁護士一家殺人事件に加担したことが注目される。同人に特異なことは、幼いころからさまざま「神秘体験」をしてきておりこれが不安のままに成長してきたところ、麻原彰晃に出会ってしまったということであった。被告人としては、実際に前生の自分を見ていて、日常的に物理的に麻原彰晃が光っており、麻原彰晃を見ると心臓が喜び同心円状に体に広がっていった、と言うのである。

宗教現象上の「巫病体質」と表現するものだと指摘する人もいる。これを抱えた被告人を絡めとるのは、松本被告にとって容易だったろうと思う。同人は、坂本事件の実行の際、全宇宙=真我=麻原彰晃を示すバッチであるプルシャを着用しており、これを殺人現場に落として発見されたがオウムに強制捜査が入らなかったことから更に深く麻原彰晃の能力すなわち絶対性を確信している。この影響は、裁判中も大いに影を落としている。同人は「消えてしまいたい」と言いつつ、だが法廷で麻原を見るとやはり光り輝いて見えると言うのである。

およそ宗教では「神秘体験」の位置づけが大切であるが、カルト宗教でも神秘体験はもちろん認められ、これを利用されたとき人をよりロボットのような存在になしうるのだと思える。

筆者は、筆者へのサリン事件の被告人でもあるので検察側証人に出たが、その際、現実感を戻すべく下記のとおり述べた。その時の大きく震えた同人の短い指は、忘れられない。「あなたの手をみせて下さい」「あなたはその手で多くの罪を犯した。あなたは、1989年11月4日未明、その手で坂本龍彦ちゃんの鼻をふさいで殺した」

同人も、坂本堤弁護士が救いたかった出家者だった。

2018年3月広島拘置所に移監 2018年7月6日 執行 55歳

 

⑫ 遠藤誠一被告  1960年6月5日生遠藤誠一

サリン製造ほか、当時34歳。2002年10月11日地裁で死刑判決、2007年5月31日控訴棄却、2011年11月21日上告棄却

帯広畜産大獣医学科、同修士を終了後、京都大学医学研究科博士課程の際、入信して中退後出家。同人は、1990年以降、ボツリヌス菌から毒素を取り出すなどの裏ワークに没頭することとなるが、能力不足のために成功しないままであった。後に出家してきた土谷被告が、サリン、ソマン、タブン、イペリット、LSD、覚せい剤、チオペンタールナトリウムなどを製造できた、わけてもサリンの大量製造計画を作るまでしたこととの比較が、もっとも弁護材料となる。

しかし、同被告人も、主観的には松本被告のいう「救済」のために努力したのであって、地下鉄サリン事件で使われたサリンは、土谷被告に指導されながら同人が作っている。

同被告人は、当初は「すべて認める、罪一等減じられたい」という私選弁護人の指導で事件を認めたが、弁護人解任、黙秘、そして改めて話し始めるという経緯をたどる。当初の弁護人が、通例の「ともかく死刑になりたくない」という被告と同様に考えたのではないか、マインド・コントロールを解く作業をなんらしなかったのではないか、オウム事件の特徴をなんら理解していなかったのではないか、と気になる。

同被告人は、地裁での最後の被告人質問において「‥在家時代、犯罪への関与前後を含めて、自分自身の神秘体験、修行体験は貴重と思っている。だからそういう体験を麻原さんに言われて体験した以上、麻原彰晃さんの弟子と言える。ただし帰依している状況では今ありません」というのであり、オウムでのもろもろの体験を解決しないままに裁判を受けてきたという外はない。

東京拘置所 2018年7月6日 執行 58歳

以 上