死刑執行に関する所信

■■■ 永岡弘行氏・家族の会会長 ■■■

私たちは毅然として、動揺せず、いつもと同じ気持ちで過ごしましょう。私たちが動揺したら、執行された方々のお身内はもっと辛くなるのではないでしょうか。

そして、子供(信者)がいつでも帰りつけますよう、私たちは祈念して待ち、ドント受けて立ちましょう。その為の準備は常々お伝えしている通りです。

6月に中川君に会いました、その時、彼が“執行時は教団をやめるチャンスですよ”と言っていました。今となっては遺言のようです。

 

■■■ 浅見定雄氏 ■■■

今日は、いまマスコミで報じられている事柄には触れません。代わりに、まだオウム真理教系の中に留まろうとしているあなたに、こんなことも考えてみてほしいと思います。あなたたちの信仰で人類が救済される日は、絶対に、永久に来ないということです。

オウム真理教」が「オウム神仙の会」として発足してからの歳月は、もう31年、そろそろ1世紀の3分の1です。それなのに、あなたがたの信徒数は、最主流派といわれる「アレフ」でさえまだ1千人代です。

いま世界の人口は70億人超で、そのうち約34億人はキリスト教、17億人はイス

ラム教、10億人はヒンドゥー教、そして5億人は仏教徒です。こういう中であなたたちの信仰が世界中の人々を救済する時など、絶対に来ません。あなたがたの信者は、この小さな日本国の全都道府県にさえ行き渡っていないのです。冷静に考えてみましょう。

 

■■■ 楠山泰道氏 ■■■

オウム真理教元代表、麻原彰晃こと松本智津夫ら7人の死刑囚の刑が執行された。この突然の死刑執行は、日本の法律がいかにカルト問題を理解していないか、いや法律を預かる人がいかにこの問題に疎いかを知らしめている。

なぜこの時期に、松本教祖とともに教団の元幹部6名の死刑を執行しなければならないのか。〝平成の事件を平成のうちに終結させたい〟との思いもあったようだが、それだけが理由ではいろいろな矛盾を感じる。

6名のうち何名かは、まだ伝えたいことがあったのではないだろうか。彼らも人を殺すために宗教を求めたのではない。「人を救うために」「社会の役に立つ人となるために」そんな宗教を求めたのになぜ? 今後へのテロ対策としても、その深層を彼らの口から聞くことはもうできない。

教祖は何も語らなかった。弟子を犠牲にし、裁判でも自分の都合が悪いことを証言すれば怒鳴った。その姿勢は、山梨・上九一色村のサティアンで逮捕されたとき、隠れ部屋を作り自分だけ隠れていた光景を見れば分かる。

尊師と呼ばれた麻原は、自分のエゴのために多くの弟子を犠牲にしたのだ。だからこそ、6名は一緒に死刑にしてほしくなかった。尊師と一緒に〝転生〟する弟子の物語なんかあってはならない。そして、神格化もしてはならない。ただ妄想に取りつかれた教祖だということを分からせなければならないのだ。

このようなエゴの塊の教祖を開祖として、今なお出家制度をとりホーリーネームを与え、カルマの法則を語り陰謀論を主張しているアレフの信徒たちには夢から覚めて、しっかりと現実を認識してほしい。

25年の歳月は長い。今入信している若者は、オウムによる一連の事件の内容を知らない。いや、若者だけでなくカルト問題を真剣にとらえる人は少数でしかない。

残された6名の死刑は止めてほしい。そしてオウム真理教の実態、自分たちが求めた宗教の真理と宗教に一番遠い距離にある殺人に至る深層を語ってほしいと願う。

■■■ 志村真氏 ■■■

この度処刑された方々をそれぞれの宗教・考えに基づいて(私の場合はキリスト教)追悼し、平安あるいは冥福を祈りたいと思います。収監中、改悛に至った人もいれば、それに至る時間が足りなかった人もいます。けれども、地上での命を終えた今は、ひたすら平安を祈りたいと思います。また、ご遺族のことを思います。ご遺族の悲しみ、辛さを少しでも慮ることができるのは同時期にわが子を奪われていた家族会メンバーだと思います。
一連の事件で亡くなられた被害者と後遺症などで苦しんでおられる方々に思いをいたします。今回の処刑によって傷が再び痛んだり、複雑な思いに苦しめられたりしておられることでしょう。改めて事件の被害者の方々の平安(冥福)を祈りたいと思います。

それぞれのケースの対応も含めて、早いうちに支部ごとで集まりませんか。そして、時間と場所と思いを共有しませんか。

 

■■■ 滝本太郎氏 ■■■

【四女・松本聡香さんのコメント】

私の実父松本智津夫が多大な迷惑をおかけした被害者の方、ご遺族の方、信者のご家族、元信者の方、刑務官の方、そして世間の皆さまに改めて深くお詫び申し上げます。

 

死刑が執行されたことにより被害者の方、ご遺族の方が少しでも心安らかな日々を取り戻せることを心より祈っております。

 

松本死刑囚は一度の死刑では足りないほどの罪を重ねましたが、彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたいと思います。

 

執行はされるべきものでしたが、ただひとつとても残念に思うのはかつての弟子であった元幹部まで6人も執行されたことです。宗教的な理由においても、責任の重さにおいても、今日の執行は教祖一人でないといけなかったと思います。洗脳されて事件に関与してしまった元幹部の執行の是非はもっと議論され熟慮のうえでないと社会に課題を残してしまうのではないかと心配です。

 

まだ信仰を続けている信者には、これ以上松本死刑囚の罪を増やさないようにどうか後追いなどしないで、早く夢から覚めてほしいと願っています。

 

 

 

 

【松本聡香さんが信者さんらに伝えたいこと】

大雨の被害で亡くなられる方がいる中、実父が最後の最後まで世間をお騒がせしていることを心苦しく思っております。本当に申し訳ございません。

 

松本元死刑囚の最後の言葉の件につきましては、指名を受けた私自身が大変驚きました。しかし、それは実父の最後のメッセージなのではないかと受け入れることにします。

 

捏造などではあり得ません。現に聖人化される恐れがあっても遠藤元死刑囚の遺体は教団に渡りました。

私は自分が他の親族に比べて実父から愛されたとは最後の言葉を踏まえても思いません。ですが、かなり信頼してくれていたのかもしれないというのは思い当たる節があります。実は知る限り彼と最後に接見できたのは私だったからです。

 

松本元死刑囚はおそらく最後は一人の人として葬られたいのだと思います。

私には自分の過去の体験を振り返ると少し彼の気持ちが分かります。信者から神と崇められ、世間から悪魔と憎まれる人生というのはつらかったのではないでしょうか。誰も人として温情をかけてくれないわけですから。

 

今、実母と、長女以外の姉弟と、信者たちに言いたいことがあります。

どうか松本元死刑囚の最後の意向を尊重してやっていただけませんか。彼は自分で始めたことの幕引きをもはや一人ではできなくなってしまったのです。自分の真意を伝えるのが苦手なのもあると思いますが、あまりに事が大きくなりすぎました。

 

もう麻原教祖に依存するのは終わりにしませんか。支配されるのは終わりにしませんか。松本元死刑囚のためでもあり、また信者も一人一人の人生を生きるためにです。

実父はもう麻原彰晃ではありません。

その荷を死と共に降ろしたいと願った松本智津夫という一人の人間でした。

 

松本元死刑囚の罪を増やさないためにも、ご自分が人生をこれ以上台無しにしないためにも報復テロや奪還テロなど絶対にやめてください。今まで松本元死刑囚に従ってきても、これからを彼と心中する必要はないんです。

彼のためには彼を崇めるのではなく、たくさんの人を傷付けてしまった彼の霊がいつか救われるよう祈ってあげることではないでしょうか。

 

もうオウムを終わりにしませんか。社会を憎むのは終わりにしませんか。そして、改めて自分の人生を始めてみませんか。

残された者が生きて自分と周りを幸せにするのが死者への最大の供養になるはずです。

どうかお願いします。

【滝本弁護士から信者さんへ】

信者さんらへ

 

7月7日、東京拘置所にて死刑執行後の遺骸と対面してきました。遺骸は間違いなく「松本智津夫、1955年3月2日生」本人でした。四女さんとともに確認してきました。

 

いろいろ聞いていくと、本人は「松本智津夫」として亡くなりたかったのだろうなぁ、と思います。「麻原彰晃」という存在は元々なかったのだろうなぁ、それも幻影だったんだ、とお伝えします。

 

2018.7.9

友人の坂本一家がいなくなった1989年11月以来、皆様と、実にまあ色々と

なんとも深い縁があった弁護士滝本太郎より。

 

■■■ パスカル・ズィヴィー氏 ■■■

2018年7月6日、麻原の死刑が他の6人のオウム死刑囚と共に執行されました。その死刑によって、オウム真理教の問題が解決したでしょうか。そうではありません。今でも、アレフのメンバーたちが麻原を崇拝しています。

 

この死によって麻原が「殉教者」になると、メンバーたちの信仰は弱くなるどころか更に強くなります。アレフはこの死を利用すると思います。麻原は生きているときよりも死んでからのほうが危険だと思います。これから彼についていろいろな伝説がつくられそうです。彼の偉大さを伝えるためです。それによって、彼に対して魅力を持たせます。そして、彼の「聖地」を作る可能性もあります。

もう一つの危険性もあります。ある元オウム真理教のメンバーが次のように言っています。「麻原が逮捕された時、組織から離れた。決して麻原の事を信じなくなったのではなく、麻原のいない組織にいても仕方ないと思った。」彼らは麻原の予言を信じています。「世間から迫害を受けて殺される」という予言は、この死刑によって実現しました。そのことから、信仰を捨てていない彼らは、アレフに戻る可能性があります。

 

この死刑によって、「みどり会」の関係者たちの働きは前よりも重要になると思います。その働きを続けることが本当に必要です。私もそのために協力したいと思います。オウム真理教の問題は全く終わっていません。ただ、新たなステップに入っただけです。

 

 

 

■■■ 林久義氏 ■■■

オウム事件以前から事件後、そしてXディ後と、オウム集団の第三の時代となりました。今後内部での動揺から信者の離反分裂など、新しい動きが起こってくるかと推測します。突然の連絡があるかもしれません。

いつ何が突然起こってもいい様に「変化は突然やってくる」と常に心の準備をすることで、そのチャンスを家族が願う方向へと導く時が、必ず来ると思っています。

これからも各メディアが特番や特集を行うと思いますが、それをクリップし、批評批判などはせず、今後に機会があれば、家族と本人が一緒に考えられる題材になるかと思います。

特に今、四女氏が滝本弁護士と共に、今後のオウム集団に影響を与える重要な動きをされています。彼女のメッセージはとても深く重いものです。

私はどこまでも、親と本人が一緒にこの問題に向き合い、自立へお手伝いとして、家族会の皆さんを応援しています。

 

■■■ 藤田庄市氏 ■■■

刑を執行された方々のご冥福を祈ります。

 

「智光はいつまでたっても私の宝物です」

オウム法廷の傍聴をつづけたなかで忘れることのできない証言のひとつに、この新実智光さんの母親の言葉があります。信者のご家族はこうしたお気持ちなのだろうと察してたまらなくなったことを記憶しています。新実さんの母親の気持ちが菩薩のまことのおもいであり、オウムの宗教言辞はどう体裁をとりつくろうと、この世に生きる苦しみとの格闘から紡ぎだされたものではなく救済の力はありません。真の宗教者はみだりに解脱や神を口にしないものです。私は山本周五郎の小説が好きで、生きる指針としたいと思っていますが、小説の登場人物たちは謙虚に見返りを求めることなく、懸命に現実の生活を築きあげようと努力しています。オウムは修行によって解脱を目指しますが、修行の見返りが「解脱」となり果て、結果、修行を汚すことになります。解脱という状態を実体化してしまい、もはや仏教ではありません。刑死された方たちはその迷路に迷い込んでしまった。現世で生きていることの尊さを、ご家族が身をもって示していると思います。

 

※新実さんの母親の証言は出張尋問のため、東京地裁で検察官より報告がなされた

(2001年12月5日)

※わたしの修行論については

『修行と信仰』(岩波現代全書)、『行とは何か』(新潮選書、絶版)があります