オウム真理教の歴史
1955年 3月 松本智津夫(麻原彰晃教祖)熊本県八代市に生まれる。9人兄弟の第7子4男 生活は貧しかった。 |
1961年 4月 小学校入学、その後盲学校小学部に転校。 弱視であり普通の学校にもゆくことができたが、家族の都合で学費のかからない盲学校に入ることになる。 弱視ではあったが一緒にいる全盲の子供たちより有利な立場であることを利用した振る舞いがあったという証言がある。 |
1975年 3月 盲学校卒業。 |
1976年 7月 傷害事件を起こす。(罰金刑) |
1978年 1月 大学入学を目指しゼミに通う中で出会った女性と結婚。 9月 船橋市内で「亜細亜堂薬局」開業。 |
1980年 7月 保険料の不正請求が発覚。670万円の返還請求。亜細亜堂薬局閉鎖 1981年 1月 BMA薬局を始める。(ブッタ・メシヤ・アソシエーション?・・・)阿含宗に入信 1982年 6月 薬事法違反容疑で逮捕。罰金20万円を科される。 |
1983年 渋谷区桜丘に「鳳凰慶林館」を開設、「麻原彰晃」と名乗り始める。 |
1984年 2月 – ヨガ道場「オウムの会」に変更 |
1985年 秋 – オカルト雑誌「ムー」「トワイライトゾーン」に麻原の空中浮遊写真が掲載される。 |
1986年 4月 – 宗教団体「オウム神仙の会」と改称。 7月 – 麻原氏がヒマラヤで最終解脱したと主張する。 |
1987年 2月 ダライ・ラマ14世に接見 7月 – オウム真理教と改称。麻原氏がシバ神とコンタクトを取ることのできるグルであると称して自己の絶対化をはかる。 11月 – ニューヨーク支部を開設(初代支部長は上祐史浩)。 |
1988年 7月 – ダライ・ラマ14世に接見 8月 – 静岡県富士宮市に富士山総本部を開設。 9月 – 富士山総本部に来ていた「真島照之さん」が修行中に死亡。遺体は、ドラム缶で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。 11月 – 江東区に東京総本部を開設。 |
1989年 2月 – 真島さんの死亡事件に関与した「田口修二さん」が脱会すると言いだし、意思を翻さなかったためポアと称して殺人。 3月 – 東京都に対し宗教法人の認証申請。 6月 – 坂本堤弁護士らがオウム真理教被害対策弁護団を結成。 8月 – 東京都選挙管理委員会に真理党の政治団体設立を届出。 8月 – 宗教法人認可。(8月29日設立登記) 10月 – サンデー毎日が『オウム真理教の狂気』の連載をスタートし、高額な布施や未成年出家者に対する親権者の監護権侵害などを取り上げ糾弾する。各メディアもこれに追随する。 10月 – 上祐、青山吉伸、早川紀代秀が東京放送(現・TBSテレビ)千代田分室を訪れ、取材内容に抗議、放送を中止するよう圧力をかける。(TBSビデオ問題) 11月 – 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害。 |
1990年 2月 – 第39回衆議院議員総選挙に真理党として教団幹部25名が立候補。 白い服を着て麻原の着ぐるみや象の着ぐるみなどを着て歌い踊るなどのパフォーマンスを展開したが全員落選。供託金も没収。 5月 – 日本シャンバラ化計画と称して熊本県阿蘇郡波野村の土地を入手・造成。シャンバラ精舎とする。 8月 – 熊本県が国土利用計画法と森林法違反で教団を告発。(国土利用計画法違反事件) |
1991年 3月 – 山梨県上九一色村に進出開始。 9月 – 『朝まで生テレビ!』に幹部と共に出演。幸福の科学の幹部と討論。 12月 – 『ビートたけしのTVタックル』に出演。 |
1992年 2月 – ロシア共和国のオレグ・ロボフらと会談。ロシア進出のきっかけとなる。 9月 – モスクワ支部を開設(初代支部長は新実智光)。 |
1993年 6月 – オウム真理教男性信者「越智直紀さん」逆さ吊り死亡事件。遺体は幹部らによって遺棄された。 6月 – 第1次亀戸異臭事件。亀戸にあったオウム真理教の施設の周辺で強烈な異臭が漂う事件が発生。後に炭疽菌を散布しようとして失敗していたことが明らかになる。 7月 – 第2次亀戸異臭事件。 同上 11月 – 山梨県上九一色村の第7サティアンにおいて、サリンプラント建設を開始。 |
1994年 1月 –「落田耕太郎さん」殺人事件。元信者の母を連れ出すために施設に侵入したが捕らえられ殺害された。 3月 – 宮崎県旅館経営者営利略取事件(被害者は5ヶ月間監禁され、解放後の9月2日に告訴) 、5月9日滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件。6月 – 松本サリン事件。長野県松本市でサリンを噴霧し、8人を殺害。重軽傷660人。 7月 – 第7サティアン周辺で異臭騒ぎ。警察当局が付近の土を採取し、警察庁科学警察研究所で調べたところ、サリン製造の際の副生成物が検知され、しかも松本サリン事件で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明。 7月 – オウム真理教男性現役信者「富田俊男さん」リンチ殺人事件発生。 7月 – 50℃の温熱療法修行による男性信者「中村徹さん」死亡事件。 9月 – 「江川紹子さん」ホスゲン襲撃事件。 12月 – 会社員「濱口忠仁さん」VX殺害事件。 |
1995年 1月 – 「オウム真理教被害者の会」永岡会長をVXガスで襲撃。(被害者の会会長VX襲撃事件) 2月 – 公証人役場事務長「仮谷清志さん」逮捕監禁致死事件。 3月 – 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、13人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。後に警察の捜査を攪乱するための犯罪であったことが明らかとなる。 3月 – 警視庁が公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でオウム真理教信徒の逮捕状を取り、上九一色村の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉家宅捜索。 4月 – 村井秀夫刺殺事件。多くの報道陣に囲まれる中、本部の前で待ち伏せしていた男性により殺害される。 4月 ロシアでの布教が禁止される。 5月 – 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。 10月 – 東京地方裁判所が宗教法人法に基づく解散命令を決定(同年12月確定)。12月 – 国会で宗教法人法改正法が成立。 |
1996年 6月 – 麻原(松本)に代わり、松本の長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。 |
2000年 2月 – 「宗教団体・アレフ」として再編。 7月 – ロシア人信者ドミトリー・シガチョフ他5名が松本智津夫の武力奪還・対日テロを図り逮捕される。 |
2002年 1月 –上祐史浩「アレフ」の代表に就任 |
2003年 2月 – 「宗教団体・アーレフ」と改称 |
2004年 2月 – 東京地裁が松本智津夫に死刑判決。 |
2006年 9月 – 最高裁判所は特別抗告を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定。 |
2007年 3月 – アーレフから上祐前代表含む62人が脱会(脱会届提出)。 5月 – 上祐前代表を含む62人による新団体「ひかりの環」設立。 |
2008年5月 教団の名称を「アーレフ」から「Aleph(アレフ)」と改称 |
2011年 12月 – 平田信が警視庁丸の内警察署に出頭。翌日に監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)、爆発物取締罰則違反(島田裕巳宅爆弾事件)、火炎瓶取締法違反(オウム真理教東京総本部火炎瓶事件)で起訴される。 |
2012年 6月 – 菊地直子が相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪(東京都庁小包爆弾事件)で起訴される。 6月 – 高橋克也が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪(地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件)、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪(東京都庁小包爆弾事件)、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)で起訴される。 |